第62回:「毒が変えた天平時代ー藤原氏とかぐや姫の秘密」

開催日時:8月25日(金)18:00~
講演者:船山 信次 氏 
    日本薬科大学客員教授、日本薬史学会副会長

ご講演では1。正倉院と正倉院薬物、2。鴆毒と雄黄、3。藤原家の人々と暗殺、4。かぐや姫のモデルと竹取物語の作者、の順にお話がありました。先ず正倉院については奉納されている数々の宝物に加え60種類の薬物があり、60番目は猛毒と言われる冶葛(ヤカツ)で、ゲルセミウム・エレガンスというジャスミンに似た植物の根であるとの説明がありました。毒物の多くは当時の遣唐使が持ち帰ったとも言われているそうです。
 冶葛は正倉院の記録では756年(天平勝宝八歳、8年)には32斤(役7.14kg)ありましたが、現在は僅か390gが残っています。これほど減ってしまったことも謎ですが更に787年には35斤3両(役7.84kg)に一旦増えてた時期もあります。実際にその頃使われ、代わりにダミーを入れたことで増えたのではないかと考えて推論が進んだとのことです。
 天平というと平穏な響きがありますが藤原家にまつわる実に様々な政争が起こり、自殺や不審死が相次いだ時代だったようです。
 このような複雑で血生臭い権力闘争に巻き込まれた悲劇の女性たちを描いたのが竹取物語であり、登場人物のモデルは翁が藤原不比等、嫗は橘三千代、かぐや姫は藤原宮子、作者は遣唐使で藤原宮子を世話した中宮職の長官であり、誰ともまみえ、後まで生き延びた吉備真備(きびのまきび)ではないかとの説明でした。また吉備真備はカタカナの創始者とも目されており、カ・ク・ヤは孝謙天皇(カウケンテンワウ)、光明皇后(クワウミヤウクワウゴウ)、楊貴妃(ヤウキヒ)の頭文字を取ったとの推察でした。